モリリ徒然日常録

お手柔らかに、お願い、いたしますね。😁

ポジティブとは?

こんばんは🌃🌙

 

そろそろ日は昇ろうとしております。

私大学生なのですが、昼夜を都合に応じて自由に逆転させることって、仕事も学校も定時じゃない大学生の特権じゃない?と、開き直っております。😁ニコリ

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反省しま〜す。

 

さて、前回より1週間経ちましたが、本日はホワイトデー。ホワイトチョコ、めちゃ好き❗️

私、胃袋のキャパは多分人並みなんですけど、脂っこさと甘さに対しての耐性だけはエグいくらい高いんですよね。

だから、差し入れやケータリングで置いてあるお菓子とか食べ放題メニューの茶色い類の食べ物(唐揚げ、コロッケ、パンケーキなど)とか無限に貪っちゃうんです。

 

そこで皆さんに真面目なお願いなんですけど、私が「お腹すいたからお菓子食べよ〜っと🎶」などと言って尋常ではない量の脂質や糖質を摂取しようとしている時は、どうか止めてください。自分の食い意地を自分で止めることは、不可能なので。

健康寿命を延ばすための人命救助だと思ってぜひとも、切実にお願いいたします。

 

すみません、また本題に入るのが遅くなりました。いつもアイスブレイクのこの導入部分が長くなりすぎるんですよね〜、めっちゃ連想しちゃうんですいろんなことから。

簡潔な前置きができるよう、これからは頑張ります♪

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↑全然自分の愛猫とかではなくフリ素の猫

 

 

さて、今回のお題

「ポジティブとは?」

 

「ポジティブ」という言葉って、まあたぶん一般的にはどんなこともプラスの方向に、前向きに捉える思考傾向のことを指すと思うんですが、似たような言葉に「根明」があります。

 

なぜ「根明」を似たような言葉として挙げたかというと、「根明」という特徴と「ポジティブ」という特徴は高確率で共存するものだと考えたからです。

「根明」、この言葉を本人の性格そのものを指す"性質"だとしたら、「ポジティブ」というのはその思考傾向によって本人の性格を形作る行動を決定づける役割を持つという意味で、"性能"のようなものでしょうか?

 

言葉の定義はガバガバですが、今回私がこのことについて書こうと思ったのは、自分がそう言われることが多いからです。

 

「〇〇(私)って、ポジティブだね〜」「いつも明るくて、〇〇ちゃんって人生楽しそう!」「めっちゃネアカだよね〜」「自己肯定感高そう」

 

こんな風に言われることが多いんです。

昔より客観的に自己分析できる歳になってきて実感するのは、世間一般を平均とした時に、きっと大体の人よりは楽観的に物事を捉える姿勢を持っているのは事実だと思います。

問題にしたいのは、それが元から備わっているものなのかどうか?自分が意識してそうしたいからそうしているのか?てことなんです。

 

私の場合ですが、少なからず、全体のうちの35%くらい(適当!)は後者の方です。

人生楽しみたいから、前向きでいたいから、いろんな日常に良いこと見つけて前向きな考え方をするんです。

それは人間関係においてもそうだし、自分の課題に対してもそういう風にしているつもりです。

 

この根本を支えている私の考え方は、「すべては自分の知覚の上にしかない」てことです。

 

え、なんか難しいこと言おうとしてる?(;;^_^)

自分のブログの成り行きが心配になってきました〜💦

ブレイク挟みますね🍀

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コメダはこの偽シロノワールみたいなのがいちばん美味い

 

さて、「すべては自分の知覚の上にしかない」っていうのがどういうことかというと、「災害にしろ事件にしろどんなことがあったって外の世界で起こるすべてのことは自分に何らかの感情を通して入ってくるわけであって、100%フラットな事実として受け取ることなんてない」

てことです。

 

もっと具体的に言ったらなんで働くんだろう?て考えた時に、生きるのに必要なお金を稼ぐため、てなると思うんだけど、生活するのに最低限の衣食住を賄えればいいってだけの人は、そんなに多くはないよなと思う。(この生きるってのは、マジで生命が存続できるラインっていうそういうマジの最低限のライン)

 

大体の人は生活の質を上げること(良い家、より美味しい食べ物、あるいは趣味とか余暇の充実)をやっぱり求めていて、家庭を持つ人なら尚更、自分だけじゃなくて養う人達の生活の質まで考えるものだと思います。

 

その時に、じゃあなんで働くの?て聞かれたらもう、そういう、生活実現願望含めて「幸せになるため、幸せに近づくため」としか言えないような気がして、やっぱりこれも全部知覚に過ぎないなと思うのです。

つまり、「幸せ」を知覚できないなら生きている意味はないし、逆に「幸せ」を知覚するために生きているんだろうなという風に考えるので、あえてそうじゃない状態になることがナンセンスだなと感じるのです。

(これは長期的にみて何か幸せな感情に繋がることをしようとしている際に踏ん張り時だなという時は踏ん張り時であり、苦難を味わう時もあるはずで、逃避という意味では無いです)

 

ただ、必要ない時に、あえてマイナス感情を自分の中に作り出して嫌な気持ちになっている時間は、「意味ないじゃん!どうせ幸せだと感じるために人間活動してるんだし」ていう風に考えてスパッて捨てるようにします。

 

なんとなくこういう考え方を、知覚という言葉を知る随分前に、年中くらいの頃にこういうようなことを漠然と思ったことを鮮明に覚えています。こんなに小さいと、記憶はなくとも親の考え方とかが影響しているのかな?自分で考えたものなのかな?それは、よくわからない❕︎😉

 

結局、自分が「良い」(これは善悪のよい、じゃなくて気持ち良い、楽しいとかそういう自分の中でプラスなもの全体の感覚)と思うことに繋がることをし続けた方がいいんだろうなぁ、みたいな感じです。

 

ちょっと疲れました、長すぎるのでそろそろ締めます(^-^♪さすがに

 

まあ何を言おうとしたかというと、私は実際に他人と比べるとポジティブだし楽観的だとは思いますが、すべてに結構思考を深めるタイプです。(その深める方向自体がプラスだ、という風にも言えるかもしれません)

パッと見何も考えてなくてただ楽しく人生を生きているように見えがちで、浅い人間だと思われがちなんですが、へぇこういう考え方もあるんだぁ〜と知ってもらえたら、それこそ、めちゃくちゃ楽しいです🎶🧡‬

 

ここまで読んでくださった方(果たしているのか?)、相当根気づよいですね😆

本当にありがとうございました。

 

次回、「鼻詰まりが異様に改善していることについて」。

おやすみなさい💤